広島高等裁判所 昭和30年(う)490号 判決
松、伊藤義幸、田村福治等三名により寝込みを襲撃され、しかも唯一の逃道である入口を同人等により塞がれたため自己の生命身体を防衛するため已むなく日本刀を振り廻したに過ぎないものであつて、殺意を認め難く、右は正当防衛乃至「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条第一項第二号に該当し、少くも過剰防衛にあたることは明瞭であると主張するのである。なるほど原判示第三事実中甲斐松外二名による襲撃を受けてより後の被告人西森の行為を前後の関係より切り離して観察すると、所論の結論も一応首肯し得るのである。しかしながら原判決の挙示する証拠を検討してみるに、右の甲斐一派の襲撃、之に対する被告人西森の反撃行為は原判示冒頭の事実同第一、二の事実と切り離すことのできない因果の関係に立つものであることが明瞭である。即ち被告人西森を統領とする西森一派の西組と甲斐松を頭目とする甲斐一派の東組とは予てパチンコ屋の繩張争いを原因として対立抗争し、遂に被告人西森一派が原判示冒頭認定の如く甲斐一派を襲撃して危く激突を避けたが、その際西森派に属する原審相被告人伊藤信満が原判示第一記載の如く甲斐派の一人堀内順一に傷害を加え、堀内の反撃により自らも亦負傷したところ、被告人西森をはじめその一派は堀内及び甲斐等に報復を加えるべく各自兇器を携えて大挙して右両名方を順次襲撃したが、同人等が不在であつたため目的を達することができなかつた。その後一松実男の仲介斡旋により一時小康を保つたが、越えて昭和二十九年一月初頃に至り、甲斐派に属する田村福治が「西森一派をバラシてやる」と呼号していることを聞知した被告人西森は同人に先制攻撃を企図し(山口五郎、中村秀子、一松実男の各検察官に対する供述調書参照)一方西森同様田村に攻撃を加えるべく企図した西森派に属する原審相被告人伊藤、同牧田、同上杉、同関本の四名は原判示第二記載の如く日本刀、匕首等で田村に傷害を加えたものである。そして右四名は犯行後直ちに被告人西森方へ引揚げて同人に事の次第を報告し、甲斐一派の復讐を予期して互に警戒し、若し襲撃を受けた際は協力して反撃することを誓い、当夜は西森方及びその附近に各自武器を身辺にして就寝した。斯くして殺気をはらんで対峙した両派は一触即発の状態にあつたので、被告人西森をはじめその一派は昼間の出歩きにも単独行動を避けて甲斐一派の報復を警戒し、一面被告人西森の居宅においては夜間飼犬を屋外につないで甲斐等の来襲に備え、そのなき声により附近に宿泊している原審相被告人牧田、同伊藤等に連絡を図るとともに同人等の来援を期することとし、厳重警戒を加えている折柄、伊藤等の前記犯行の日より三日目である同年一月十八日夜半原判示第三記載の如く甲斐松外二名が日本刀その他の兇器を所持して殴り込みに来たのである。そこで被告人西森は予て敵意をいだいていた同人等に攻撃を加えられたので憤激し、甲斐等の攻撃を防禦するとともに隙あらば同人等に反撃を加えんとして用意の日本刀で来襲した甲斐田村両名に対し殺意をもつて斬りつけたものであることを認め得る。この認定に反する被告人西森の供述乃至供述記載は信用し難く、他に之を覆がえすに足る証拠はない。以上認定の事実関係によれば、前記一連の争闘行為は順次因果の関係をもつてつながる不可分のものというべく、しかもその原因はむしろ前叙の如く甲斐等一派に先制攻撃を加え、又は加えんとして同人等を挑発した被告人西森を含むその一派の行為に由来するものといわざるを得ない。してみれば原判示第三の事実は同第二事実との間に二日の隔りがあるとはいえ、所詮法秩序を無視してなされた一連の集団による闘争過程中の一齣とみるの外なく、しかもそれは自らの挑発に基因した攻撃に対する予定された反撃行為と認むべきであるから、偶々自己が攻撃を受けて危険に曝されたからといつて、その反撃行為を目して正当防衛乃至「盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律」第一条に該当する行為又は過剰防衛とみるわけにはいかない。従つて原判決が以上と省略同様の見解に立つて正当防衛の主張を排斥したのは当然であり、この点に関し原判決には事実誤認又は法令適用の誤はない。論旨は何れも理由がない。
(裁判長判事 伏見正保 判事 村木友市 判事 小竹正)